ポジティブ・シンキングがつらい?前向き思考の落とし穴 物事を正しく捉えるには

HI1891002_TP_V4 メンタルケア

 

 

ポジティブ・シンキングやポジティブ思考という考え方は、今や広く知れ渡りいろんなところで聞かれるようになりました。

巷にあふれる自己啓発本などを読むと、とにかく「ポジティブシンキングのすばらしさ」やその「効果」についてさまざまに書かれていて、まるで「魔法の考え方」のようにとらえられています。

 

しかし、私も昔そういった本を読んで「なるほど、常に前向きでありさえすれば物事上手くいくんだ」と信じ、ひたすらポジティブ・・(長いな。以下ポジ思考)を毎日続けていたこともあります。

上手くいかなかったとしても、「まだポジ思考が足りないんだ。もっと強く信じないと‥」

などと信心深いカルト宗教の信者のように疑いもなくポジ思考を続けてきました。

 

でも・・正直「楽しくない」んですよね。そのうち無理やりなポジ思考がつらくなり、その反動かたまにものすごくネガティブ思考に陥ってしまうこともあり・・・。はっきり言って「逆効果」の場合の方が多かったのです。

 

なぜそうなってしまったのか・・実はそこに「ポジティブシンキング」が持つ落とし穴というか、間違ったポジ思考による弊害があることがわかってきました。

今回は私のポジ思考がなぜ間違っていたのか、ではどうすることが正しいポジティブ・シンキングなのかについて語りたいと思います。

 

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ポジティブ・シンキングによる弊害

 

 強く信じれば願いはかなう

 

思考は具現化する

 

こういった言葉は今に始まったことではなくずーっと昔から言われていたことでした。

しかしもちろん願ったり信じるだけでは夢はかないません。

 

世界的なスーパースターになりたいとか、好きなあの子をゲットしたいとか

 

自分の力だけではどうにもならないことは「強く信じた」ところで容易に叶うはずがないのです。

 

昔「愛は勝つ」なんて歌がありました。ポジ思考の権化のような歌です。

 

♬心配ないからね 君の思いが 誰かに届く あしたはきっとある

どんなに困難で くじけそうな時も 信じることさ  必ず最後に愛は勝つ♪

 

詩・曲・歌 KAN「愛は勝つ」

 

んなわけないだろと(笑)。まあ、この手の詩はいくらでも他にはあるのでことさらあげつらう必要もないですが、こういう「途中の過程」をすっ飛ばしてただひたすら「念じてれば願いはかなう」などと言うようなことがあたかも真実のように語られてたことがありました。(今もあんま変わらんか)

 

 

もちろんポジティブ・シンキングそのものが悪いわけではありません。

ポジティブ・シンキングによって状況が改善したり物事がうまく行った例もあるでしょうから、すべてが間違いではないです。そもそも本人が本心からポジティブに考えられるならそれ自体はいいことです。

 

しかしそれを私のように「本心では」信じてないのに無理やりそう思い込もうとしたり、逆に「ネガティブな考え方=悪のような風潮が「ポジ思考の強要」につながるとしたらそれは決して正しいとは言えないと思うのです。

 

そして間違ったポジ思考は、自分にもまた他人にも悪影響を及ぼすことがあります。

 

例えば、重い病気にかかっているのに「大丈夫大丈夫。病は気から。明るく過ごしてればすぐよくなるさ」と考えた結果、病院にも行かず症状を悪化させたり

「あの子にまたフラれたけど大丈夫。いつかきっと彼女は俺に振り向く。明るく接してればきっと俺の思いは届くはずだ」などと言う考えは、自分だけでなく相手の女性にも不快な思いをさせ、それがエスカレートすると「ストーカー」のような行為にまで発展してしまう危険性がある。

これが「間違ったポジティブ・シンキングによる弊害」です。

 

 

カナダの医師ガボール・マテ氏の書いた著書

 

「体が「ノー」という時」によると

過剰なポジティブ・シンキングは「不安」からの逃げであり、見たくないものを見なくて済むように子供が身につけた「間違った思考パターン」であるとあります。

 

「お母さんはメチャクチャ怖いけど、あれは僕のためを思ってしてくれているんだ」

 

加藤諦三氏の「愛されなかった時どうするか」のレビューでも書きましたが、

子供にとって母親は絶対的存在なためにその母親から愛されてないことを認めるのが怖い。だから無理やり自分の中で「僕のためにしてくれている」と思い込む。あるいは母親に実際そう言われて信じ込む。

 

要するに「自分の本心にふたをする」わけです。

 

読書レビュー 「愛されなかった時どう生きるか」 加藤諦三 著

 

でも本心では母親に対して不満を持っているので決して気分はよくない。しかしその気持ちを外に吐き出すことはタブーとされているので、無理やりポジティブに思い込むことでその本心から「逃げている」状態だという事です。

まさしく「ポジティブ・シンキングの強要」です。

 

 

そもそもポジ思考は「強要」されてするものではありません。しかし世の中に氾濫する「ネガティブ=悪」のイメージのせいで、物事を「前向き」に捉えられない自分はまるで悪い事でもしているかのような「罪悪感」に襲われます。

 

そこで対して信じてもいないのに無理やり前向きに思い込むことで、大事なことから目をそらしてしまっているのです。

 

まるで「散らかった部屋に消臭剤をまき、無理やり「いい匂い」をさせてるようなものです。

気分いいはずありません。

 

 

 

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ネガティブ思考は悪なのか

 

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では、世の中で言われている「ネガティブ思考」は本当に悪い事なのでしょうか。

確かに、必要以上に落ち込んだり、物事を悪いようにしかとらえられないのは一見よくないことのように感じます。

目の前にチャンスがあるのに無意味に憶病になって失敗ばかり考えていたんではせっかくの飛躍の機会を逃すことになる。だからそういう時には「ポジティブ・シンキングこそ有効」という考えは一理あります。

 

しかし、これは私の例ですが『何か自分にとってよくないことが起こりそうな時』私は、あえて「最悪のパターン」を想像する事にしています。

 

いくつかある「もしこうなってしまったらどうしよう」という例の中で「一番最悪な状況」を頭の中で想像するのです。そしてそれを回避するにはどうするか、を考えます。

そうすると、今までの私のパターンで言えばその「最悪のパターン」にはなったことはありません。大体その手前で回避できたりします。「最悪の想像」が当たった試しはないのです。

 

また仮に当たったとしてもそれに対する対処法を考えてあるのでなんとかなるでしょう。

そしてそのパターン以外なら「大したことはない」と思えるのです。

 

 

これこそ本当の「ポジティブ・シンキング」ではないでしょうか。

 

 

 

前述したガボール マテ氏もこう書いています。

 

治癒のためには、ネガティブに考える勇気を奮い起こさなければならない。私の言う「ネガティブ思考」は現実主義(リアリズム)を装った暗くて悲観的な考え方ではない。それはむしろ、何がうまくいっていないのか考えてみようという姿勢なのである。

 

 

つまり「正しいポジティブ・シンキング」とは、現実を見ないでただひたすらいい事だけを考えるのではなく、「そうなるためにはどうすればいいのか」を、今の自分の現状をしっかり把握し、現実的な改善策を講じる考え方なのです。

 

言ってみればインプルーヴ(改善)・シンキングですね。(私が作った造語ですドヤア)

 

 

この考えに近い考え方が最近アメリカで発表されました。

 

 

それは「メンタル・コントラスティング」という考え方です。

 

いわば「思考の対比」という考えです。ポジティブとネガティブ、一見相いれない二つの考えを、理想を達成するための手段として併用しよう、という考え方です。

 

 

この考え方と実践方法については、話が長くなるので次の回に回します。

 

 

身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価 

カポール・マテ著

 

blog84

 

 

 

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