「オタク」今昔

TRTM1769_TP_V (1) 所見

あなたは「オタク」ですか?

いや突然すいません。「オタク」という言葉が日本で定着してからというもの、いろんな形で都合よく使われてきました。今日はちょっとこの「オタク」という言葉について、今と昔の使われ方の違いや語源、「オタク」以外の一般人(そういう言い方もおかしいけど(笑))からの反応の変遷について語ってみたいと思います。

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「オタク」の語源は?使われ始めたのはいつ?

 

語源はもちろん、相手に呼びかけるときに使う「おたくさあ」から来ています。おそらくはコミックマーケットが始まった1980年前後に、イベントなどで知り合った見知らぬ第三者同士が相手に呼びかける時、「君」じゃカッコつけてる感じがするし、「お前」は失礼だし 「おたく」が一番都合がよかったんでしょう。割と内向的な性格の人が多いため、相手を傷つけずかといってへりくだりすぎないこの言葉は実に使いやすい。

「そんでおたくは、どんなアニメが好きなの?」 それほど親しくない相手と言葉を交わす時の、実に未成年らしいコミュニケーションの取り方ともいえます。社会人ならこうはならないでしょうね。丁寧語でありながらもタメ口に近いですから。

評論家でコラムニストの中森明夫氏が1983年漫画ブリッコ(白夜書房)」の『「おたく」の研究』の中で「中学生ぐらいのガキがコミケとかアニメ大会とかで友達に『おたくら さあ』なんて呼びかけてるのってキモイと思わない?」「この頃やたら目につく世紀末的ウジャウジャネクラマニア少年達を『おたく』と名づける」と書いたのが始まりとされています。

当初はアニメや漫画、ゲームなどに熱中する少年少女たちをそう呼んでいましたが今ではその定義もなくなり、広く「専門的な知識に長けた人」という意味で多くの分野で使われるようになりました。

かくいう私は、もちろんアニメや漫画は好きではありますが、そこまで「オタク」ではないと思っています。正直「本物」と思うオタクの皆様からすれば私などヒヨッコ、足元にも及ばないでしょう。

ただ当時の一般人からすれば私は十分「オタク」。当時は、中学生や高校生になってまでアニメや漫画を見ている人間はもうそれだけで「オタク」呼ばわりでした。

そして同じようについて回ってのが「ネクラ」という言葉。「オタク」イコール「ネクラ」といったようにセットになって呼ばれ、いったん「オタク」のレッテルを張られてしまうと完全にその人のパーソナルイメージとして植え付けられてしまっていました。

私はアニメや漫画は好きでしたがやはり高校に入るとさすがにそういうイメージで見られるのを怖がり(マジで女の子には全くモテない(笑))、表面的には「アニメなんて興味ないよ」というフリを続けていました。まさに「隠れキリシタン」状態(笑)。

 

誰が広めた?「オタク語」(笑)

 

別にどれが「オタク語」かとか決まってるわけではありませんが、なんとなくわかるのではないかと思ういわゆる「オタク」と呼ばれる方々の言葉の特徴。「やたら丁寧」「時代劇口調」「芝居がかった言い回し」などがありますね。

「ええい やめい!」とか「やめいと言うとろうが!」 的な、特に高橋留美子漫画にはよく出てきたような、独特の言い回しが日常会話でも使われて それだけでも「あ、オタクだ」とわかったくらいでした。高橋留美子さんが広めたのかみんなが使ってたから高橋さんも使ったのかはわかりませんが私の周りでも普通に使ってる人、けっこういましたね。

私は出身が関西地方なので言葉は関西弁に近いです。にもかかわらずそういう「オタク語」を使う人たちはその時だけ「標準語」になるわけですから、その違和感たるや大迫半端なかったです。

いろいろ悪く言ってるようですみません。「お前だって仲間の一人だろ!」という「お叱り」の声が聞こえてきそうですね。実際そうなんです。間違いなく私も「オタク」の一人。しかしずるいことに自分がそうだとは思われたくない、「偽オタク」なのです。実はこれが一番たちが悪いのではないかとも思います。まるで昔話に出てくる「こうもり」のように、アニメに興味のない一般の人には「一般人のフリ」をし、オタクの集まりの中ではやっぱり自分のオタク気質を隠し切れない。中途半端オタク。

ある意味、「自分はオタクだ」と、はっきり言葉と態度で示せる人がうらやましくもあったりします。そういう人が、遠慮なく知識を深め、実際仕事に役立ててる人もいるでしょう。

私などは結局、好きではありながらそれを極めることなく終わったため、人に誇れるほどの知識がありません。カッコつけてないで自慢できるほどの知識を深めていればよかったと、いまさらながら思うのです。

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今は「オタク」であることが恥ずかしくない時代

 

ただ少しいいわけさせてもらえば私が10代の頃は、「オタク」であることは、生きていくうえで本当に不利な状況が多かった時代なのです。フリーライターの「宅八郎」氏がその異様性を逆にキャラとして打ちだし、さらには『宮崎勤』が起こした事件から、「オタク」イコール「狂人」と言っていいくらい、オタクは社会的に嫌われ者になっていきました。

しかし「オタク」であることを隠そうとしないような人たちは、ある意味「肝が据わってる」というか、悪く言われてもそれに対して言い返す人もいたりして、それが逆に反感を買ったりもしました。もともとオタクになるような人は結構頭のいい人や弁の立つ人が多いのでやり返されるヤンキーたちも多かった(笑)。まあ結局暴力に訴えられて終わるんですが。

でもそういう「抵抗」ができない小心者や自分のような「隠れオタク」は、自分の趣味を大っぴらにするほどの度胸もなく人里離れた自宅の部屋で、誰にも知られずひっそりと好きなアニメを見る というのが関の山でした(笑)。

今では、普通にタレントさんやアイドルの方までが自分の「オタク気質」を大っぴらにテレビでカミングアウトできたりして、以前よりは「オタク」に対するイメージも変わってきたように思えますね。まあそれはあくまでアイドルだからいいんであって、一般のオタクに対するものはさほど変わってはないと思いますが。

大人になっても「アニメを見る」ことが、以前より抵抗はなくなってきたんじゃないかなと思います。

そして「オタク」という言葉の定義も変わってきました。はじめはそれこそマンガ、アニメ、ゲームなどのいわゆる二次元文化に没頭する人たちを指した言葉でしたが、最近では実在するアイドルや鉄道、特撮、釣り、映画、スポーツなど多種多様化し、ひとつのジャンルに精通した人、専門的な知識を持った素人 的な、肯定的なとらえ方までされるようになり、それが仕事になればむしろ武器にさえなるようになりました。

ただそういう「肯定的オタク」とは別に、「老舗オタク」というべきか、アニメや漫画、そしてさらに美少女オタク的なタイプになると「キモオタ」という、オタクがさらに進化した?いやサイヤ人化したような「真正のオタク」もまだまだ生息し続け、オタクの地位向上をかたくなに阻み続けていることも事実です(笑)。まあアイドルに熱中するファンは昔からいましたが、また少しタイプは違うような気がしますね。

 

 

クール・ジャパンの影響?アニメそのものに昔ほど抵抗がなくなった今の日本と、これからのオタク

 

そして、アニメファンであることが昔ほど恥ずかしくなくなった最大の原因として、海外での日本のアニメの認知度があげられるでしょう。

昔から日本のアニメが海外に輸出され人気はあったのでしょうが、我々一般人がそれを知るすべがなかった。それがインターネットの普及により、TV番組や海外でのアニメイベントの様子などが動画で見れるようになり、「日本アニメはクール!」と外国人の皆さんが盛り上がってるのを直に感じることができます。

ここらあたりも日本人特有の「外国人コンプレックス」とでも言いましょうか、外国で認められるとそれまで見向きもしなかったのにいきなり注目されたりします。

現金と言いましょうかなんといいましょうか、手のひら返しもいいとこですが あの黒澤監督や、北野映画が日本で注目されるようになったのも「ヴェネツィア国際映画祭」や「カンヌ国際映画祭」などで賞を取ってからです。昔から日本人は外国で認められることに弱いんですね。まあ、経済では結構発展はしたけれど文化としては世界的にはまだまだだと思ってる日本人が多いのでしょう。それがひとたび認められると、自分の事のように誇らしく思えるのは、無理もない気もします。

それ以来アニメを日本の文化、芸術の一つとまで持ち上げ、政府が推奨する「クールジャパン」という経済戦略にまで取り上げられるようになりました。(国がこういうことやりだすと途端にダメになると思うんですが・・(笑))

そして宮崎アニメの大ヒットも、それに拍車をかけましたね。アニメは特に観ないけど宮崎アニメは観るという人もたくさんいて、ずいぶんアニメに対するイメージも変わりました。

 

まあ変わったのはアニメに対するイメージだけで、オタクに対するイメージはさほど変わってませんがね‥←何度も言うな(笑)。

オタクと一口に言ってもいろんなタイプがあってひとつのことに異常な集中力と執着力を持つ人間もオタクというなら、エジソンもピカソもモーツァルトもビル・ゲイツもスティーブ・ジョブズも松下幸之助も本田宗一郎も皆、オタクと言っていいでしょうね。そこまでは行かなくても、日本の芸能人でも中川翔子さんやさかなクン、岡田斗司夫さんや半田健人さんなどは自分のオタク性を存分に生かして仕事をなさっていますし、「オタク性」を生かして才能を発揮する人たちはいわゆる「天才型」の人間が多いような気もします。

ただやはりそういう人たちは往々にして社会にうまく適合できない性質を持っていて、自己と社会とのギャップに苦しむこともあるようです。

ポジティブに生かせば優れた功績も残せそうな「オタク」な人々。そういう人たちを受け入れる環境面でも変化が必要です。

これから「オタク」はどうなっていくのでしょうか。

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