こんにちは、最近なかなか朝がスパッと起きれないOYUKIHANです。
今日は、最近の騒動から改めて見える「老害」と言われる方々の存在とその特徴、
そして自分がそうならないためにはどうすればいいかについて考えます。
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世にはびこる「老害」な方々
まだまだ例の「吉本騒動」が続いています。最初の話とはどんどん話がずれて吉本興業の社内問題、果ては「ベテラン芸人」と「若手芸人」の言論バトルにまで発展してしまいました。
「老害」という言葉が流行り始めてから結構立ちますが老害と言われていないだけで昔から「現在の風潮を嘆く高齢者」は、どこの時代、どこの国でもあったようですね。
古くは古代エジプトの壁画に「最近はどうだ、昔はこうだった」などと書かれていたとか、日本でも
随筆「枕草子」の中で、清少納言が「最近は言葉遣いがなってない人が多い」と嘆いているとか、時代を超えて「世代間ギャップ」というものは存在していたようです。
そしてだいたい、そうやって眉を顰める老人たちに比べて若い人はそれを気にしてない、というのもいつの時代も同じようです。もちろん若い人たちにとっては「比べるもの」がないから、今の風潮をそのまま受け入れている場合が多い。
だからそれを否定されてもピンとこないんでしょう。
とにかく厄介な存在と言われる「老害」の方々。
しかしその「若い人」も、年を取れば「老害」と言われる可能性は十分にあります。
今これを読んでいるあなた、あなたが年齢いくつか知りませんが若い人であった場合、
将来「老害」と言われてしまうかもしれないんです。
「俺はならないよ」なんて言ってる人ほど「なる」可能性があります。
将来「老害」と言われないように、今から考えておくべきことは何かについて語っていこうと思いますので、よければ参考にしてください。。
老害と言われる人の特徴
まずはその「老害」と言われる人たちの行動パターンや特徴はどういったものでしょうか。
思いつくまま上げていきたいと思います。
- 人の話を聞かない
- 価値観を押し付ける
- とにかく「否定」から入る
- 怒鳴り散らす
- 苦労話でマウントを取りたがる
だいたいこんなところでしょうか。
とにかく『こう』と決めたら相手の話を聞かず決めつける。
「俺の時代はもっと苦労した。今の若い奴らは甘い。」と、自分がいかに辛さに耐えてきたかを語りたがる。苦労の自慢大会が始まるのも特徴です。
テレビでも有名な元プロ野球選手、役者さん、ベテラン歌手など思い当たる人がいますね(笑)。
そして逆にやり込められそうになると「うるさい!」といきなり怒鳴り散らしてごまかそうとする。
厄介なもんです。
最近の「吉本騒動」で言えば、例の「社長の記者会見」があってからいろんな芸人さんが会社に対する「不平不満」をぶちまけています。
それに対し今度はベテランの芸人さんが、そういった若手芸人に対して「嫌なら辞めろ!!」と叱りつけるように語っていたりして、最初の「反社会的勢力とのつながり」はどこ行ったんだよ‥ってくらい、話が大きくずれています。
これはまさしく「価値観の押し付け」ですね。おそらくそのベテランさんは、自分が若い頃のことを思い出して「自分はもっとつらい状況に耐えてきた。それなのに今の若い奴らは辛抱が足りん」と言いたいのでしょう。
しかしもう時代は変わっています。昔はそれこそ「弟子修行」なんてのをやってから独り立ちするのが「芸の道」というものだったんでしょうが、今は「お笑い養成学校」なんてのもあって師匠のいない芸人さんも増えています。
漫画界もそうです。昔は作家さんのもとへ「修行」という形で仕事場に入ったりしてましたが今そんなことしてるところはないでしょう。
いつまでも昔のモノサシで「今」を測るのはナンセンスというものです。
人はなぜ老害になるのか?
おそらく今「老害」と言われる人たちも、昔はそんな「話の分からない老人」を嫌っていたはずです。
なのになぜ自分がその立場になるとやはり同じような人間になってしまうのでしょう。
次はその原因について探ってみます。
①時代の流れについていけない
一番の原因はこれでしょうね。人は、一番感受性豊かだった10代、20代の空気を覚えています。おそらく一番居心地のよかった時期。そこを基準に考えるので、そこと合わないと不満に感じるんでしょう。
しかしいくら叫んだところで向こうが主流。あまりこちらの言うことを聞いてくれません。それが余計に彼らを「老害」へと導くのです。
②キチンと叱る人がいない
ある程度年齢が上がってくると、間違ってても間違ってると言いにくくなります。
若い時には頭ごなしに叱ってくれる人がいましたし、自分も若かったので腹は立ちながらも言うこと聞くしかなかった。しかし年取ってくると叱ってくれる人もいなくなるし、たまに叱られても大体相手が年下なのでただ腹を立てるだけで、挙句「生意気だ!」と「逆ギレ」をする人もいます。
叱ってくれる年上の人がいるのはいい事なんですね。
③ストレスのはけ口にする
これも原因の一つです。大人になってくるといろんなストレスを抱え込みます。うまく発散できればいいけど、それが溜まってくるとどうしても「弱い立場」の人間に矛先が向かうことになります。
以上のように、様々な要素が複合的に絡み合って人は「老害」と化すのです。こうしてみるとやはり誰もが「老害」となる可能性があるという事です。
あなたもそんな「老害予備軍」なのかもしれません。
「老害」にならないためにはどうすればいいか
もちろん「老害」と言われても構わないと思ってる方なら何も問題はないでしょう。
しかし個人的にはそう呼ばれている人たちは考え方、生き方が狭く、新しい世界を知るチャンスを逃してる気がします。今自分の生きている世界に十分満足してて「新しい世界」など興味ないというなら仕方ないですが、私はたとえ今の生活に満足してたとしてもそこにとどまってるのは嫌です。
常に新しいこと、新しい世界を体験したい。そのためには「老害」なんて言われてる場合じゃないのです。
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ではそんな「老害」にならないために、今からできることは何でしょうか。
ズバリそれは、上にあげた例の「逆」をすればいいわけです。
- 人の話を聞く
- 価値観を押し付けない 新しい価値観を受け入れる
- とりあえず「肯定」してみる
- 怒鳴らない
- 苦労話、自慢話をしない
ただ、言葉にすると簡単なことのようですが、価値観の違いを認めるのは難しいものです。
「生理的に合わないもの」も中にはあるからです。
でも、何か新しいもの、新しい価値観に出会ったら、僕はとりあえずは「肯定」してみる事から始めます。
何気に一番大事なのは2番目の「とりあえず肯定してみる」かもしれませんね。
年取るとどうしても「否定」から入ってしまいがち。自分が10代の頃、見るもの聞くものすべてが新しく、新鮮でした。
否定なんてしてる間もないほど新しいものは「キラキラ」と光を放ち、魅力にあふれていました。その時の気持ちをいつまでも持ち続けたい。
年を取るとだんだん「ワクワクする」こと自体がなくなってしまいます。
どうしても今までの経験値で「だいたいこんな感じ」と、やる前、見る前から勝手に全体像を想像してしまう。
昔はとにかく「未知」なるものへの好奇心でいっぱいでした。どんな形をしてるのか、どんな味がするのか、甘いのか辛いのかしょっぱいのか、何もわからないから面白かった。あの感覚を全部取り戻すことは無理でしょうが、少しでも持ち続けるためにはまずは「肯定から入る」というのが一番のような気がします。
そして新しい価値観を取り入れていく中で、「これは合わないな」と思えばその時点で辞めればいいのです。しかし決して「否定」しないことです。
それはただ自分に「合わなかった」だけであって、それ自体が悪いわけじゃない。
最近も某有名インフルエンサーの方が、タピオカに並ぶ日本人を嗤ってバカにしていました。
確かにタピオカを買うのに何時間も並ぶのは滑稽に映るかもしれませんがそれも「他人の価値観」です。何を大事に思うかは人それぞれ。自分に合わないからと言ってバカにしていいとは思いません。
人はどうしても自分を守ろうとして相手を悪く言ってしまう傾向にあります。特に、今までの価値観をかたくなに守ろうとしてる人は、それが壊れるのが嫌で相手を罵倒することで自分を守ろうとしてしまいます。
ただこれは、老人に限ったことではありません。先ほどのインフルエンサーさんも実は若い人です。つまり相手の価値観を認めないのは年齢に関係がないということ。
そういう人が年を取れば・・結果はもう見えてますね。
まとめ
もちろん必ずとは言いませんが、「老害」と言われる人の確率は男性が多いようです。
男はやはり「プライド」で生きてる生き物ですからね。年取ってしかもある程度「権力」を持つようになると余計にプライドが高くなり、それが傷つけられようもんなら全力でこれを回避しようとします。それが相手への「罵声」や「罵倒」につながるのです。
まさに攻撃は最大の防御。使い方間違ってますがね。
難しいかもしれませんがまずはその「余計なプライド」とやらを捨てることが大事なのかもしれません。
常に謙虚さを持ち、新しいものをまずは肯定的にとらえる。
それができている人の人生って実に「豊かなもの」になるんじゃないかなと
僕は思います。
さてここで質問です。
この記事で「老害」という言葉は何回出て来たでしょう。
カッチ、カッチ、カッチ、カッチ・・・・・・・・
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カッチ・・・カッチ、
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