『マンガ大賞2018』に選ばれたのは「BEASTARS」。衰えを見せない「擬人化」ブームはこれからも続くのか?

manga 所見

シュール系擬人化マンガ「BEASTARS」・・漫画界における擬人化の流れとは?

 

『マンガ大賞2018』に板垣巴留氏の『BEASTARS(ビースターズ)』(秋田書店)が選ばれ、その授賞式が22日、都内で開催されました。

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『マンガ大賞』は書店員を中心に、各界の漫画好きが毎年選出するマンガ賞。2008年に創設され、今年11回目となる。対象作品は昨年1年間に単行本が発表された作品であることと、最大巻数が8巻までであること。100人の選考員がノミネートされた12作品の中から選びます。過去には2008年の第1回大賞『岳』(石塚真一)、第3回の『テルマエ・ロマエ』(ヤマザキマリ)など、映画化もされた有名作品が多い名誉ある賞です。

この作品、7巻まで出てるのに全く知りませんでした‥汗 ってことで読んでみましたが、いや面白いですね。内容はざっくりいうと「獣たちによる青春学園マンガ」とでも言いましょうか。登場人物はみな擬人化された動物たちで、特に「肉食獣」と「草食獣」が共存している、というのがミソです。その「本来相容れない」動物たちが繰り広げる青春群像劇が妙な味を醸し出し、実にシュールな作品となっています。

セリフ回しやテンポがよく、構成の仕方もよく考えられています。25歳とは思えないほどの「巧さ」を感じます。大学で映画や映像を学んでいたそうなので、そのあたりで培われたテクニックかもしれませんね。

しかしこの「擬人化」というジャンル、日本人は本当に好きですね。まあもともとマンガの起源といわれる「鳥獣戯画」自体が動物を擬人化したものですから、人間そのものを描くほうが珍しく擬人化こそがマンガの基本だと考えていいかもしれません。実に様々な擬人化マンガ、アニメが存在します。

そもそも昔話やおとぎ話からして「擬人化」の宝庫です。「猿蟹合戦」や「かちかち山」、主人公ではないけれど「桃太郎」、あと恩返し物は大体そうですね。「鶴の恩返し」「分福茶釜」など、挙げればきりがありません。もちろんこれは日本だけのブームでなく、外国にもあります。イソップ物語の「アリとキリギリス」「北風と太陽」「ウサギと亀」、アンデルセンだと「みにくいアヒルの子」、あまり知られてないけど「ソバとゆうだち」という、畑の穀物を擬人化した物語が存在します。これはやはりおとぎ話が「子供向け」である理由から、動物にしたほうが親しみやすいということでしょう。したがって物語としては非常に「教育的」なものが多いです。

特に外国はアニメなどはいまだ「子供が観るもの」というイメージが強く「ミッキーマウス」や「きかんしゃトーマス」など、擬人化して子供が観やすいようになっています。この「BEASTARS」の作者の板垣巴留さんもディズニーが好きということで、彼女が擬人化作品を描くのは必然的な流れなのかもしれませんね。

日本は「大人とか子供とかそんなのお構いなし、とにかく面白きゃ何でもいい」の精神なので現在までもいろいろな形で擬人化が行われ、その都度面白いものは話題になっていました。

種類的には大まかに分けて萌え系、シュール系、知識系などに分かれるのかな。この「BEASTARS」がシュール系なら、萌え系の代表は国を擬人化した「ヘタリア」、戦艦を擬人化した「艦これ」、同じ動物でも美少女化した「けものフレンズ」などでしょう。知識系でいえば「はたらく細胞」、路線を擬人化した「青春鉄道」などがありますね。まあ「国」や「県」、「戦艦」などもそこそこ知識があってこそ味が出るので、大きい意味ではヘタリアも艦これも知識系と言えなくもないですが。

外国にもそこそこありますが日本の擬人化の特徴は「八百万の神」に代表される、どんなものにも命が存在するという考えが基本になってる気がします。「もののけ」や「妖怪」の類でも「河童」や「天狗」など、人間にいたずらしたり自然の力で人間を懲らしめたり、日本人の持つ自然への畏敬の念を擬人化して表現したりします。

その意味でも、この「擬人化マンガ」というのは、単なる一過性のブームでなくこれから先もさまざまに形を変えて発展を見せていくのではないかなと思っています。

 

BERSTARSにおける背景の位置づけ、描かれ方とは?

 

ここでこのブログらしく、作品内でも背景の描かれ方について書いてみようと思います。パッと見た感じですが・・この漫画、アシスタントさんはいるのでしょうか(笑)。

週刊連載なのでいるとは思うのですが・・失礼ですがそうとは思えないほど、背景は「素人っぽさ丸出し」です。その辺の学生が描いたのかなというくらい、稚拙なものです。まさしく「才能」だけでマンガを描いてる感じ。しかし、物語が物語なのでこれが妙にマッチしています。定規もほとんど使わず形もそれほど気を使っていません。やはり本人が描いてるのかなと。そうなると人件費かからないので丸儲けですね(笑)。いやはやうらやましい。

背景はもちろん「緻密に描けばいい」というものではありません。その作品に合ってるかどうかも重要な要素です。たとえば福本伸行さんの漫画などはそのキャラも含めてもはや一種の芸術です。あの人の絵や背景に文句言う人などいません。そういうもんなんですよね。力があれば絵なんてどうでもいいという次元があります。それが「才能」というものです。

まあほとんどの人がそれがなくて苦労するわけですが(笑)。

この板垣巴留さんがこの先どうなるかはわかりませんが少なくともこの作品に関しては「これでいい」ような気もします。

ただこういった作風は、もしアシスタントがいるとしたらアシスタントにとっては難しいジャンルなんですよね。まあ好きな人ならいいですがこの手の「本来実在しないもの」を描く作業は普通に背景を描く作業以上に大変です。なんせ通常はアシスタントが必要としない「想像力」が必要になりますから。普通の学園ものだと「学校の写真」や「街角の写真」など「見本」となるものがあるわけで、それを見ながら描けばいいわけです。あとはいかに漫画的なテクニックを駆使できるかどうかがカギになるだけです。

しかしこういったいわゆる「ファンタジー」系の作品は、完成図が作家さんの頭の中にしかない場合が多く、打ち合わせの段階でよほどコミュニケーションをとってすり合わせをしないととんでもなくイメージが違ったりします。大体は初めに作家さん自身が描いた見本の背景があってそれに想像力を膨らませて臨機応変に描いていくという形になります。全くの0(ゼロ)からはさすがに描けませんからね。

色々個人の好みはあるでしょうが、私自身もこういった作品は好きですね。今でもありますがちょっと前のブーム的に「小難しいマンガ」が流行ったりして、「人間社会の裏の部分を赤裸々に描く」みたいなものがもてはやされたりしました。それこそ福本さんの漫画とかですね。もちろん私自身嫌いじゃありませんし、精神世界を鋭く描く作品は、まさに「大人向けの読み物」としてもマンガ自体の社会的地位を上げるのに貢献していると思います。

でもそればかりになるとやはり反動もあって・・(笑)。漫画というものはそれを読むときの読者の心理状態もかなり影響してきます。音楽の好みもそうですよね。激しいロックが好きな時期もあれば、静かな音楽を聴きたい時期もあります。

マンガの基本が「鳥獣戯画」なら、私が「BEASTARS」の様な作品をいいと思えるのはある意味「原点回帰」の時期にいるのかもしれません。そんなに気を張らなくても気軽に読めるもの、それが「マンガ」というものだと思います。それがいまだに週刊連載されているという事実は、私にとっても漫画界にとっても「実にいいこと」なのかな、と思った早春の午後でした(笑)。
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